冨田勲とディズニー
この記事は「ディズニー関連ブログ Advent Calendar 2020」5日目に参加しています。
冨田勲といえば……
冨田勲といえば東京ディズニーシーのエントランスで流れている「アクアスフィア・プラザ~デイ」「アクアスフィア・プラザ~ナイト」が有名でしょう。
「アクアスフィア・プラザ~デイ」はオーケストラ、「アクアスフィア・プラザ~ナイト」はシンセサイザーによる立体音響となっています。東京ディズニーシーを訪れる人は必ず耳にする印象深い曲です。
実は、冨田勲氏はこれら以外にもディズニーとのつながりがありました。
冨田勲とディズニーの関係年表
西暦(年齢) | できごと |
1950年(18歳) | 白雪姫(1937)を鑑賞 |
1952年(20歳) | NHKの「立体音楽堂」という番組の中のラジオドラマ「ピーターパン」の劇伴奏を制作 |
1955年(23歳) | ファンタジア(1940)を鑑賞 |
1964年(32歳) | ニューヨーク万博「イッツ・ア・スモールワールド」の日本語部分の録音指揮を担当 |
「カラオケの録音演奏を聞いているのは僕ひとりで、合唱団は僕の指揮だけを見て、伴奏なしで歌った」と述懐しています。このアトラクションは万博終了後、アナハイムのディズニーランドに移設されています。
「アクアスフィア・プラザ~デイ」
葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」の波を立体音響的に描いた作品とされています。東京ディズニーランドの建設地の候補に富士山麓が入っていたが富士山が目立ちすぎるという理由で選ばれなかったという話がありますが、ここで富士山が登場するあたり、日本人と富士山の切っても切り離せない関係がうかがえます。
「僕は6歳のときに、家族とともに中国へ渡りました。幼心に船の甲板から見た『海』。ある日は穏やかだったり、ある日は、ものすごく荒れたり。全方向に広がる波の音や、移動する空の雲、アラビアンナイトの世界に迷い込んだような小さな島々。これらが『アクアスフィア・プラザ~デイ』のもとになっています。」
ディズニーサイドの依頼では初期のシンセサイザーによる作曲だったとのことですが、作曲スタイルが変わっていたこともあり、オーケストラによる録音になったとのことです。指揮は「イッツ・ア・スモールワールド」の作曲をしたシャーマン兄弟の兄、ロバート・シャーマンに依頼が行われています。体調を崩したため実現することはありませんでしたが、50年の時を超えたつながりがここにありました。
立体音響を実現するために、オーケストラを3回に分けて録音したそうです。メトロノームの音に合わせて演奏をするのは至難の業だったことでしょう。ぜひパークに行った際にはエントランスで各スピーカーから流れる音の違いに耳をすませてみてはいかがでしょうか。
「アクアスフィア・プラザ~ナイト」
童謡の「夕焼け小焼け」と「静かな鐘の音」をイメージして作曲されています。
こちらは「初期の」シンセサイザーではなく、デジタル・シンセサイザーにより制作されました。オプコードStudia VIsionというシーケンサと、NEDシンクラビア・システムというシンセサイザーが利用されたとされています。
参考資料
『ディズニーファン』2014年1月号・2014年2月号・2017年1月号